麻布大学東京同窓会100年史 同窓会と人間関係の継り

飯塚武文

私は昭和30年卒で4月に動物愛護協会病院に勤務しました。院長は二代目、青木正先生で、卒業後ペルーに移住し、戦後GHQ獣医部所属で帰国しました。26年に英国大使館主体で設立し、婦人の欧米の方々が活動して居り、理事長は斉藤弘吉氏でしたが、欧米、院長側とは溝が有りました。獣医は、前川博司先生(慶応獣)、松川岩天(麻布)、私と4人でした。翌年6月頃、上条峻先生が長野で大動物開業から、小動物開業のため実習に来られ暫らくしてから大田区雪ヶ谷で開業されました。32年には、動物福祉協会と分裂しました。私も10月に退職し、診断書を開設し、動物愛護関係と福祉協会に協力して居りましたが練馬区の現在地に病院を開設しました。その後、同窓会に入会しました。大先輩の岡田博亘先生は銀座で開業されて居りましたが、64年に千葉県流山市に移住しました。先生は詩吟会では一流の先生で新橋に教室を持ち、多数の方々に指導して居りました。東京都獣医師会館、会議室でも獣医師、一般の方にも、月に二回程で指導して居りました。私は遅い方でしたが上条先生に誘われ入会したのは、この頃です。この教室での人間関係が不思議と継がるのです。今から20年前、一般社団法人、アジア和平日本委員会が、タイ国カンチヤナブル市に神道平和記念公園(300坪)を設立しました。私も縁があり協力して来たのです。タイ国では、シントウーパークで通じて居ります。大自然石に平和祈念慰霊碑を建立しました。台座には全国の奉賛者の名が刻まれて居ります。私も知人、友人ら50名の方々の名が連なって居ります。又動物慰霊碑には岡田先生の和歌「暖風(かぜ)そよぎ、若草萌える丘の辺に哀れ斃れし軍馬(うま)を埋めん」岡田柴友と並んで居ります。

岡田先生はこの地カンチヤナプリに日本軍の駐屯地が有り、半年間の生活が大変な事柄があり、詩を沢山作り又話を聞いたりしました。ビルマ戦線では、椿精一先生(昭和11年卒)、岡田先生(昭和11年卒)でビルマ戦線では一緒でした。動物慰霊碑の揮毫は高橋威彦先生です。裏面には、田部幸雄氏、高橋威彦氏、深谷幸作氏、藤田耕作氏、私です。田部幸雄(岩手獣)先生、高橋威彦(日大獣)先生は、インパール作戦に参戦しました。あのインパール市が見える山での激戦で撤退せざるを得なくなり、撤退中に司令官が倒れ、ふくしれいかんが田部先生にどうしても指揮を取る様にとの事で、指揮し部隊がラングーまで撤退出来たと自叙伝で書いて居りました。

高橋先生は別の撤退ルートで、小隊長で生還され、やはり自叙伝で獣医の知財が助けたと居りました。今も、ミャンマー(ビルマ)カンチヤナブル県国境付近には、50万体の遺骨が皆東を向いているそうです。藤田耕作氏は、椿精一先生が、北里大学理事長時、総務部長で片腕として仕えた方で、タイのチャランコ大学の学生60人のホームステイでお世話して居り、6年前に大学の動物病院を見学に行きました。立派な病院で教授の案内を受けました。先生は、麻布大学の若尾義人教授の元で勉強した方で、病院には何人かの教授が居りますと言って居りました。同窓会本部の理事で東北選出の伊藤多喜雄さんが居りました。同じ秋田で故郷は、私の近くで、23年卒で状況の時はお会いして居りました。或る時、今日の理事会で、常任理事に推薦されてたとの話で、間違いだと言ってたのですが一週間後に、本部より推薦状が届き、戸惑ったものでした。同窓会本部の財源は以前より聞いて居りましたが、深谷法人理事からも椿会長の時、評議員会で認可されたのに7年立ってもこの状態で困っているんだと聞いては居りました。上条峻先生の理事長選出は私達が強く押したものですが、平林賢三先生からも大変なことだから何んかしなくてはと話し合った事も有りました。その後、法人の事務局で問題も起こり、上条先生と詩吟の稽古の終わりに二人で話し合いました。その1週間後に法人の理事会が有り、認可されたとの事で皆な喜びました。今年は大学の125周年で式典が有り、私も父が大正6年卒の卒業アルバムを提出しました。中村道三郎先生の、病院実習で馬の手綱を引いていたのが父です。私も家畜病院の研究生でした。病院長は中村道三郎先生でした。不思議なものです。タイ国人間関係ですが、堀浩先生(39年卒)で、アジア野生動物で研究センター代表です。タイ政府公認の法人また私立大学の客員教授です。6年前、東京で同窓とシントウパークの幹部6人で食事しました。その時、堀先生から、今使用している車が大分古くなり危険との話しで組織の代表に協力して戴き、堀先生が同窓会報に動物救急車が寄贈されたことの報告が有りました。日本、タイの動物クラブの学生を連れてシントウーパークに行くようです。息子の飯塚修氏は、同窓会報の編集委員長を四期努めてますが良く頑張っていると思って居ります。日本テレビの志村動物園は、始めから息子が監修しており、堀浩先生と2人やって居ります。神道平和祈念公園は2年前に、タイ政府が、戦場に架ける橋等、この地域の施設を、世界文化遺産として、ユネスコに申請しました。このシントウーパークも申請を同時にして居ります。こん度、日本政府、タイ政府合意に新幹線、バンコク、チェンマイ、760㎞が、日本の技術で建設に入ると報道されました。まだ先の完成でせうが、バンコクからは、カンチャナブルまで、大体150㎞有りますが、近くなります、タイ国旅行の折は、このシントウーパークにもお立ち寄り下さい。日本人の管理人が住んで居ります。

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